ANA L-1011

 

B727
B737
B747
B767
B777
B787
L-1011
A320・321
DHC8-Q400
DC-3
・VICOUNT828
CV440,F27,F50
MRJ

 

ANA ユニフォーム コレクションⅠ.Ⅱ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 ANA ビッカース・バイカウント828

イギリスのビッカーズ社が開発、ターボプロップエンジン4発と与圧キャビンを装備する。
828は744に比べて胴体を1m延長、キャビンは2.8m延長し、4列52席を標準とした。
エンジンはロールスロイス・ダート524型を搭載、東京-大阪を1時間15分と2/3の時間で結んだ。

ANA Fleet History               ・TV CM                          

ビッカーズ・バイカウント         

バイカウントとは子爵の意味。
全日空30年史によると幹線で孤軍奮闘するコンベア440を一刻も早く増強する必要があり、F-27とバイカウント828を発注するが、828は納期に15カ月を要した。このためビッカーズ社から744を昭和35年6月、7月に1機当たり月700万円でリースする。
昭和35年7月6日午前10時にタービンエンジンの音とともにバイカウント744の1番機が羽田空港上空に現れ、待ち受けた観衆の前で急旋回、急上昇などのデモンストレーションを行い、日本の空のジェット化の口火を切った。2番機は7月28日に到着。
8月1日から東京-札幌線に初就航している。
その後、バイカウント828を3機発注、3機分で購入総額245,281万円(機体価格233,322万円、予備部品11,959万円)で増資や借り入れで、機体価格の20%を引き渡し時に支払い、80%は年利8.7%返済期限昭和44年11月25日の5年割賦で全日空の命運をかけたものだった。
全日空は2年でバイカウントを9機運行した。この744の増強で35年度の単年度決算は4年ぶりに黒字の収支になった。
この背景には高度成長を目指した池田内閣の国民所得倍増計画があり国民所得の伸びが右肩上がりの時でした。
ちなみに名目で昭和40年には、昭和35年のほぼ2倍の成長を示しています。
当時、日本航空はDC-4を運行していたが、これに対抗してジェット旅客機のコンベア880を1961年9月25日に東京ー札幌線に投入した。
これに対抗して全日空はB727を導入してゆくことなる。ラストフライトは1969年8月31日。
ちなみに小生はF-27フレンドシップは記憶にあるのですが、バイカウントは見ているのでしょうが記憶の彼方。

JA8205 就航1962/04/02~1970/05/06 大阪万博の年にバイカウントは全期退役。



Aero Classics製 1/400  国内未発売品

ANAグループのエアライン